ブログをはじめて半年以上がたった。
ちょっと期間が空いた時期があったけど、それでもなんとか続けてられるのは書いていて面白いとおもうから。
しかし、ずっとブログを書いているともっと文章を書くのが上手くなりたいなぁ~と思うようになり、そこでなにかいい本はないかと探していました。
Twitterでマナブさんという方をフォローしていて、この方のYouTubeでオススメ本みたいなのをたまたま見ていたら、この「いますぐ書け、の文章法」という本を紹介してました。
ちょうど探してた内容の本だ!と思い、早速購入して読んだ次第です。
この本の内容を簡単に説明すると、ブログだけに関わらず、全ての「文章を書く」ということに対しての心構えや、何を意識して書くのかなどを語ってくれます。
この本の著者は、読んでいるとわかるんですが、語っている内容はマジで体育会系です。
文章を書くってなんか落ち着いていて、クールなイメージ?インテリ?なんてのを想像するかもしれないけど、まぁそんなことはないですね。
少なくとも著者の堀井憲一郎という方はむしろ定年後落ち着いたら物書きにでもなるかなんて思ってるひとには人に響く文章は書けないと断言してます。
むしろ締め切りなど落ち着きがないときに良い文章がかけると言ってるほどです。
今回は自分が気になったところを3つのポイントを通して紹介していきます。
この記事では文章を上手く書きたいと思っている人が、文章を書くのにどういったことを意識して書いたらいいのか、ということを知ることができます。
ポイント1 プロとアマチュアの決定的な差
文章を書くからにはきちんとした文章を書きたい。
問題は、この考えにある。
きちんとした文章を書こうという意志。
そう思うかどうかで、プロフェッショナルとアマチュアの差が出てくる。
もちろん、「ちゃんとした文章を書こう」とするのが素人、そんなこときにしてないのがプロなんですけど。
読む人の立場で書け
文章を書くことの根本精神はサービスにある。
文章を書くプロはあきらかにサービス業者なのだ。金を貰って文章を書くかぎり、みんなその意識を持っている。
サービスとは「読んでいる人のことを、いつも考えていること」である。
言ってしまえば、それだけのことだ。
文章を書くときに、読む人のことをいつも考えて、書く。
本当にそこさえ押さえておけば、あと気にするのは細かいことだけだ。
もう一度、言う。
「読んでいる人のことをいつも考えて書けばいい」
これですべてだ。
褒めてもらいたい人は文章を書くな
読む人のことをまず第一に考えて書く。それができないと、どういう文章になるか。
褒めてもらいたい、という気分が前面に出ている文章は、とても読みづらい。
たとえば。
「学生の本文とは何か。孔子曰く、学びて時に之を習う、又諭可らず、呼、即ち学習である。面して、昨今の学生の不真面目さ不勤勉さは目を覆いたくなること暫し、まさに痛恨の極みである」
・・・意味わからん。
漢字多すぎ。引用が無意味。よく読むと、学生が不真面目だという、すごく無意味に内容しかない。
普段使ってない言葉を使いすぎなのだ。少々気取るのは仕方ないんだけど、でもあまりにも自分とかけ離れた言葉で書くと、無理が生じます。
これがつまり「自分のこと」ばかりが先にきている文章。
アマチュアの人が文章を書いているときに設定してる読者は「きちんと読んでくれる読者」ですね。
自分の意図に沿って読んでくれて、好意的な同調をしてくれる読者。それは読者とは言わない。自分の考えの反射でしかない。
そんな読者を設定している限りは、永遠にアマチュアでしかない。
雑誌を書くライターとして、想定しているのは「きわめて不親切な読者」である。不熱心な読者と言ってもいい。
私個人に興味などなく、わたしの話を聞こうとして(私の書いたものを読もうとして)雑誌を手に取ったわけではなく、たまたま偶然、私の文章を目にした読者。
それが「プロの物書きが想定する基本読者」である。
ポイント2 文章は人を変えるために書け
この本のポイントは二つの方向にある。
一つはタイトルにも使われているように「いますぐ書け」というポイント。
もう一つは、「文章はサービスである。=本気で読者の立場に立とう」というポイントである。過激に言うなら、読者のためなら、自分の主張さえも捨てろ、です。
いままでのような考えは変えろ、ということですね。
まずは自分が驚け
人を変える可能性のある文章というのは、だいたい、書いている人が「自分の驚きを伝えようとしているもの」であることが多い。
ある出来事、もしくはある話によって、自分が驚き、自分が変わったと感じ、それを人に伝えようとする。
その心持が根幹にあれば、ちゃんとした文章になる可能性がある。
文章を書くかぎりは、人を変えるものを書かないと意味がない。
それに明確に読者が意識されているほうがいい。どんな読者なのかをきちんと把握しておくことが、とても大事になってくる。
読者は絞ったほうがいい。
絞った相手に、本気で語ると、伝わる。
読んでくれる人を広く考えてしまうと、文章はひたすら拡散してしまう。
人を変えるものを書く、にはどうすればいいのか。
これは要するに心構えの問題である。
いつも「人を変えるもの」を意識して生きているしかない。
常にそういうことを考えて生活していると、題材がみつけやすい。
だからいつも「何かおもしろいことはないか」「新しい工夫はないか」と常に考えて生きていればいいのである。
ポイント3 文章を書くのは頭ではなく肉体の作業だ
文章を書くことは、きわめて肉体的な作業だ。
プロの文章書きになるには、人並み外れた体力があったほうがいい。
毎日、文章を書き続けるには、すごく体力が要るのだ。
そもそも、自分のあり余ってる元気をその原稿に注入して、向こう側にいる人にその元気を届けたいという、そういう心持ちでないと、なかなかおもしろい文章は書けない。
人を動かせる文章は書けない。
体力のない人は、まず体力をつけるか、もしくはその体力に合わせた文章発表量でやってくしかない。
これはライター商売をしていてもそうなんだけれど、もう限界だというくらいに仕事が立て込んでいるときのほうが、おもしろいものを書ける。
じっくりと時間を取ってしっかり構想をたて、きちんと推鼓を重ねたときには、まあ見事につまらないものが上がってきますね。俺はそうだ。俺だけかもしれないけど。
これはつまり”頭VS身体”の問題です。
すごく忙しいさなか、じっくり座ってもいられないときに書いたものは、”頭”の準備もチェックも、あまりはいらない。
追い詰められて、でもなんとかしなきゃというときに書いたものは、仕上がりはときに雑であるけれど、その発想や展開に驚かされることがある。
これは”身体”の勝利。
身体が勝つと、いいものが出来ます。
忙しい時の方が頭を無駄なく働かせて、出来がいい、ということです。
”頭”をスポーツで判断するような使い方をしてるってこと。
サッカーの試合の最中の選手の頭の中と同じ。「言葉にする前に頭がいろんな決定をする」という動きであって、言葉にしない決定はすごく大事です。
動物的だというところが。
「言葉にしない決定を、言葉を書く現場で行う」というのが、わたしのいう理想の書き方ということになる。
落ち着いて書くな
時間かけると、つまんないものに仕上げるというのは、そこにある。
動き回ってるとき、すごく忙しいときの時間は、自分のために使われておらず、いろんな社会や場のために使っていて、そういう人の書く文章は”他人”を意識されて書かれている。
でも、じっくり引退してから余裕をもって書くと、まあ、ゆるいです。だめでしょうねえ。はい。だめです。
落ち着いて書くな。
じっくり時間をかけて書くな。
それでは頭が勝ってしまう。
頭脳が文章を制御しはじめる。そんな文章、おもしろくもなんともない。
感想
はじめこの本を読む前は、
「もっと改行を入れたほうが読みやすくなる」
「こういう言葉を使った方が文章がよくなる」
などもっと技術的なものを想像してたけど、まあ違いましたね。
なんていうか「職人」って感じがしました。
文章を書く職人って感じ。
作中の描写で、
「書き方のルールやコツだけ教えてその人が上手くなるか?もちろんそんなわけがない。何度も何度も書いて書いて体で覚えていくものだ」
みたいな表現があってこれなんてまさに職人って感じ。作中ではスポーツと一緒って言ってたかな。
もちろん、ただやみくもに書いても文章は上手くならないけど、頭で考えてばかりで書かないのはもっとだめってことですね。
そして冒頭でも述べていたように「読者ファースト」を常に想像して書くことが大事ってこと。
読者がよんで、「この文章は本当におもしろいのか?」「誰に向けてかいてるのか」
「読んでいる人のことを、いつも考えていること」これを常に意識して書いていくこと。
この記事では精神論的な要素が強くなってしまいましたが、ちゃんと本には文章の具体例があったりするので、文章が上手くなりたいひとは是非読んでみてください。